起業当初のスピリチュアルブーム【私がクリスチャンになるまで1】

こんにちは^^

突然のお話しですが、紆余曲折ありまして、
2022年の11月にクリスチャンになりました。

ですが元々はスピリチュアル界隈など迷子だったので、
今までの経緯をお伝えしたいと思っています。

今まで2017年から5年ほどにわたりSNSや
このブログで発信させていただいてきましたが
その間、実に色々なことがありました。

過去になんとなく答えが出ていなかったことも
聖書を読み進めるうちに
理由がわかってきた部分が大きいです。

この機会に、その時々に関わってくださった方に
感謝の気持ちを持ちながら
振り返って書いてゆこうと思います。

色々やってきたけどモヤモヤしているという方へは、
ぜひ読んでいっていただきたい内容となっております。

※「キリスト教」という宗教に所属しているわけではなく
個人の信仰のため、何かに勧誘しようという意図はありません。

そして、わたしがすごい人ということは全くないので
リラックスして読んでくださったらうれしいです^^

起業の当初に流行っていたこと

2017年、主にフェイスブックで発信し始めたころ
流行っていたのは以下のようなことです。

・引き寄せの法則
・新月のお願いごと
・満月の手放し
・未来の理想の自分をコラージュする
・断捨離

など等。

スピリチュアルを扱ってらしたり、
実践して、こころからいい状態です!
という方を、否定するつもりはないのです。

ですが、個人的には、今振り返ると
上記のようなことの中には
怖いこともあったなと感じています。

「新月のお願いごと」をして感じたこと

その頃わたしも、見よう見まねで
「新月のお願いごと」を書いてみました。

すると、書いたことの中の
特に「仕事で○件お申し込みが欲しい」
というのが、後々振り返ると叶っていたのですね。

ただ、そのとき同時に「なんか怖い」と感じたので
新月のお願いごとを書くのは数回で止めました。

また、理想の自分をコラージュする、というのでは
リッチな生活をコラージュしている方が多かったのですが
(札束の写真を貼ることも流行っていました)

何となく怖く感じたので行いませんでした。

今思うと、それはよかったと思います。

ただ、断捨離や手放しは行ってよかったので
後ほどまた詳しくまとめたいと思います。

人が崇拝される仕組みに違和感

わたしの起業当初は、
フェイスブックメインの起業塾ブームが
下火になりかけている頃でした。

当時は、一部の人気のある方が、
絶対的な「先生」として崇められているような状況でした。

そんな中、起業塾でお辛い思いをした方のお悩みを
だんだんと頂けるようになり、
そういった方へのサポートを
当初は仕事にさせていただいていました。

ですが、ある時から
自分が見て下さる方に求められる自分像を
無意識のうちに作り上げていることに気がついたんです。

そして、そのうち「先生」と読んでいただけることがあり
とてもありがたいことではあるのですが、
一方で、どこかおごっている自分に気が付いたんですね。

少しずつ収入が増えた時期も
幸せにはなりませんでした。

それどころか、お客さまに寄り添おうという気持ちが
逆効果となってしまったり、未熟さゆえに
お客さまとの間にトラブルが発生してしまったことも…。

「このままではだめなのかも知れない」と思いながらも
より注目してほしいという欲求は日に日に強くなり、
中毒のようになってしまっていたと思います。

自分が作り上げた、いわばもう一人の自分像を
「崩そう!」と決意し、実際に崩せるまでには
それなりの期間と労力を要しました。

聖書を知った今だからこそわかるのですが
当時の自分がしていたことは、

見て下さる方に「偶像崇拝」をさせることで
してはいけないことだったのです。

偶像崇拝とは…偶像崇拝とは、目に見えるものに依存してしまう、目に見える、人・物・像などを崇拝する行為を指します。 言い換えれば、目に見えない神以外に心を奪われれば偶像崇拝となります。

お金を持っても幸せになれない理由は

この記事を読んでくださる方は
きっとすでに気が付いてらっしゃると思うのですが

お金を稼げる=幸せになれる

ということではないです。

むしろ、世の中を見渡したとき
幸せでないお金持ちの方が多いように感じませんか。

表面上はキラキラと見せていても
実際のところは…。
ということも、女性起業界では多いですよね。

極端な例ですと、
ホテルでのランチの写真をSNSには上げながら
実際におうちでは納豆ご飯しか食べてない
というような方もいらっしゃると伺ったことがあります。

では、本当に幸せなお金持ちと
そうでないお金持ちの違いって何なのか…
と考えても、前までは答えが出なかったんですね。

今回、幼少期の体験と聖書をかけ合わせた時に
やっと見えてきたことがあります。

また、クリスチャンになるに至ったのは
幼少期の霊的な体験などから、霊的な存在を信じずに
生きていくことが非常に難しかったから、
というのがひとつの大きな理由です。

その、ひとつの鍵となった幼少期のことについて
次の記事に書きたいと思います。

続きの記事は、以下からご覧いただけます。