「気を使う」と、「気を配る」の違いに思うこと

こんにちは。
吉田あきこです。

この記事を見てくださる方は「気を使い過ぎて疲れてしまう」
ということあるかもしれません。

わたしはそのことでずっと悩んできました。

本に救いを求めて今まで300冊以上は読みました。

勤勉、というイメージより本で学ぶことへの
中毒だったといってもいいかもしれません。

最近とてもいい本との出会いがあったのでご紹介しますね。

以下の本です。


京都でお灸堂の院長をされている方の本なのですが
とてもこころ温まる文章で癒されました。

わたしはお灸やツボ押しが好きなので
参考になるなぁと思って読んでいたのですが
ふと目に留まった文章がありました。

それは

「気って使うと減るんです」

といった内容の文章でした。

確かに、と思いました。

わたし自身、数年前まで心身ともに疲れ果てていたころは
「気」が枯渇しきっていたんだろうなぁ、と感じました。

人が集まるところに行った後なども
ぐってり疲れて半日寝込んでしまうことなど以前まであったのですが
それも「気」を使い過ぎてたんだなぁとしっくりきました。

ただ一方で「気配り」って
プライベートでもお仕事でも必要になってきますよね。

さりげない気配りのできる方のところには
自然と人が集まってもくるようです。

程よい気配りをしながら和やかに過ごせる人間関係のなかにいると
エネルギーも充実しやすいと感じます。

ただ一方で、例えば保護者としてでしたり
社会人として「気」が合わなくてもどうしても
付き合わなくてはいけない方はいますよね。

そういった方に無理に気配りしようとすると
いつの間にか過度な気使いになっていて
気づかれしてしまうのかなと思います。

わたしの結論としては最低限のマナーや言葉遣いを守ったら
無理に気を使おうとしない

そして自分のが上という立場をとる方の下に
入りすぎないよう気を付けるということです。

例えば会社の上司と部下であれば、
形式上下の立場をとることは必要であっても
気持ち的に下に入り込みにいき過ぎないというイメージでしょうか。

気の合う方と互いに心地よく気を配りあいながら
自然といい気を交換しつつ、互いにほどよく高めあっていける。

これが自分のこころがけている、家庭の形でしたり
お仕事での人との関わりの形であるように思います。

意思を柔らかく、それでいてお相手に伝わりやすい形で
伝えることができるようになったので
気を使い過ぎることが減ったように感じています。

もし今少しエネルギーが枯渇しているなぁ
と感じられるようでしたら

誰に対して、どういうときに気を使い過ぎているかな?

どうしたら気を温存できそうかな、と考えてあげるのも
もしかするとプラスに働くかもしれません。

お読みくださりありがとうございました^^

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